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看護師から会社役員に転身するが、大赤字で倒産寸前となり借金を背負い込む。経営知識の乏しさを猛反省し懸命に勉強して再起にかける。
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2017年12月02日 (土) | 編集 |

今日は施設看護と施設で働く介護士に関連する本を読んだ。


病院看護と、病院の看護助手や介護士は人員の配置も全然違う。


私は施設で働くのは初めてで、興味深いことだらけだ。


実際にそこで働いてみないと分からないことも多いだろうし、今後も悩む


こともあるだろう。


一般的な有料老人ホームではどのような看護や介護を提供しているのか、


施設によっても違うし、看護リーダーの悩み、介護リーダーの悩みも多いと


聞くので、どんなことで悩み離職していくのかも知りたい。


全く知識がなく土壇場でやっていくというのは、あまり賢い方法ではない。


職種の違うスタッフの悩みや抱えている問題とかも知りたいし、施設の


看護師の本音も知りたい。


私自身は自分の母親と同じような利用者さんに、良い看護が出来れば良い


と思っている。


そのためには、他職種の人々とどのように連携や調整をしていけば、


スムーズに仕事が運び、利用者さんやその家族さんに満足な支援ができる


か考えて実践したい。


そして、介護保険関連や日本の制度のことも知っておいた方が良い。


それは、自分自身のためにもなる。


将来、自分の母親や自分自身が老いて介護が必要になるかも知れない。


そんなこと、誰にも予測はつかないことだ。


だから、どうせ働くならば、とことん突き詰めて行きたい。


日本の老人医療も福祉も在宅医療も将来は決して明るくはない。


少ない若者が、大勢の高齢者を支えなくてはいけない。


自分の子や孫の未来を考えたら、どんな形で老いを迎えるのが良いのか


考えてしまう。


でも、理想通りには行かないと思うので、施設の現場を知った上で、自分


が予防できることや、対策などを見つけて行きたい。


役員の仕事もあるが、私は看護師の立場だけでなく、施設経営のことも


現場で学んで、それが、自分の経営に役立てば良いと思っている。


つい、最近までは経営のことで思い悩んで、辛い日々を送っていたが、


週に4日間でも看護師として真剣に働くことで、無駄に悩んで考えることが


なくなった。


「よく忙しいって心を亡くす。」と言うけれども私の場合は違った。


私は永遠に看護師に戻らない覚悟でいたけれども、経営不振で役員報酬が


出ないために、再復帰することになってしまった。


それは、本来は嬉しいことではないけれども、会社を継続するための


手段だった。


だから、病院には戻らない!でも、生活のために施設で働こうと決めた。


そして、選んだのが建設業が介護事業を経営して、施設長も兼任している


有料老人ホームを看護師再復帰に選んだ。


私は施設の現場のあちこちを、経営者の目で観察して考えている。


そうやって意識して見ていると、自分たちの経営の改善点も見えてくる。


今日は久しぶりに母親と電話で話をした。


高齢者の代表である母親から、沢山、良い話が聞けて楽しかった。


84歳の母親は毎日ウォーキングも続けているし、階段の昇降もスムーズ


にできると言っていた。


神戸老眼大学には10年以上も通っているし、読書に編み物、洋裁、和裁、


毎日の料理など自立どころか、十分すぎるくらい元気に頑張ってる。


私にも人生は悪いことも良いこともあるよ~って言ってくれた。


私自身が健康なら大丈夫だって、84歳の老女に言われてしまった。


老年看護の再勉強も凄く楽しい。


だって、自分の親の現在の状態と、未来の私自身を想像しながら学べる。


元々、本を読むのが好きだから、新しい勉強は新鮮で最高に楽しい。


経営の勉強は上手くいかなかったけれど、来年から工事の仕事も入って


来ると思うので、私に出来ることは積極的にやって行こうと思っている。


昭和 9年 長崎に生まれる。
昭和20年 長崎で被爆。父と長兄を失う。
昭和34年 長崎大学医学部卒業。
昭和39年 長崎大学医学部大学院修了。医学博士号取得。
昭和40年 長崎大学外科学教室、脳外科グル-プへ。
昭和42年 低開発国の医療援助のためケニアへ出向。
昭和44年 米国、ジョージタウン大学医学部脳神経外科にレジデントとして勤務。
昭和48年 浜松医療センタ-の開設に参加。脳外科部長。
以来29年勤続。57年副院長に。
平成12年 同センター顧問へ。
平成16年 同顧問を辞し、浜松早期認知症研究所、金子クリニックを開設。



私下記のポッチにタッチをお願いします。m(_ _)m


    


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